幼少期から高校時代まで
小学生の頃は野球一筋の「野球少年」で、一方で鉄道などの乗り物好きの物静かな子どもだった。
中学生の頃に「将来の職業」について真剣に考え始め、当時政権を担っていた小泉純一郎首相に憧れ、担任の先生の助言もあって政治家を志すようになる。
高校生の時には、弓道部に所属する傍ら、生徒会長を務め、全校集会1,300名の前で「将来は政治家になって、日本に貢献する」ことを宣言する。
PROFILE
小学生の頃は野球一筋の「野球少年」で、一方で鉄道などの乗り物好きの物静かな子どもだった。
中学生の頃に「将来の職業」について真剣に考え始め、当時政権を担っていた小泉純一郎首相に憧れ、担任の先生の助言もあって政治家を志すようになる。
高校生の時には、弓道部に所属する傍ら、生徒会長を務め、全校集会1,300名の前で「将来は政治家になって、日本に貢献する」ことを宣言する。
高校卒業後は政治を学ぶため、上京して大学に進学した。裕福ではなかったので、生活費と学費全額を自身で負担しなければならない環境で進学したため、4年間ほぼ毎日、早朝7時からアルバイトをして、奨学金で賄うことができない費用を捻出する。
なお、自身も奨学金を返還し続けているが、自身より若い世代が社会に出た時点から既に「奨学金地獄」に陥っているということがないよう、志ある若者の高等教育費の負担軽減措置を拡充させる施策の推進を目指す。
複数のアルバイトを掛け持ちしていたが、4年間通してやり遂げたのは、明大前駅のホームでラッシュ時の対応をする(乗客を押して電車内に詰め込む!)駅員のアルバイト。リーダーを務めるなどして、会社に勤務態度が認められて時給が大幅アップされる。在職中に作成した「勤務手引」と、切符で作成した「オブジェ」がこちら!
大学では、雄弁部という弁論サークルに所属する。全国から集まった学生らとともに政治や経済などについて、議論を交え意見を闘わせた。参議院議員で弁護士の丸山和也氏を迎えて講演会を実施し、弁論大会を主催するなど、当時の弁論界では「行動力の三橋!」と評され、他大学の集まる弁論大会では弁士への質問が鋭いと恐れられ「質疑の三橋!」として名を上げる。
政治経済学部でよく勉強させてもらった研究室では、私の憧れだった小泉政権の「功罪」について分析した。明治大学で政治学科長などを歴任されたゼミの教授は、初立候補の相談に際して「しっかり受かって来い」と激励をいただいた。
この他、大学生活の4年間を通して、国会議員や都議会議員の下で学ぶ。時には秘書業務のアルバイトとして、時には純粋な研修生として。国会議事堂や議員会館で知り合いの議員が声を掛けてくれるようになったり、国会で徹夜で予算委員会における原稿を推敲したりしたのは、非常に楽しく貴重な経験だった。
とある国会議員が「卒業後はぜひウチの事務所へ入ってくれ」と声をかけてくれたのは嬉しかった。それでも、地元奈良への貢献にこだわり、卒業後は奈良へ帰郷する道を選択する。
地元奈良への貢献を志して、大学卒業後は奈良県の第一地銀である南都銀行へ入行。3年間の銀行員生活で、世界と地域経済に関する知見を深めつつ、事務処理の効率化に取り組むなど実務能力の向上に務める 。
この経験から、県民や市民の多くは、高級ホテルを建設するとか、何十億円も費やして施設を建設するとか、箱モノ行政には全くと言っていいほど興味や期待がないということを確信する。多くの県民や市民の関心事は、明日の暮らし、老後の生活、教育や医療に要する費用をどうするか、身近な食料品や自動車燃料等の物価、金融や交通機関によるサービスの利便性、これらが明日の日本ではどうなるのかという点であることを実感する。
退職することとなる最終期に、投資信託及び生命保険分野の営業収益第1位。半期のうちに4回ほど成績優秀者となる。公共性の高い銀行業務であるので単に売上が高ければよいという訳ではないが、顧客層は幅広く、それぞれのお客さまが求めるものは何かという点を理解してきた成果であると自信を持つ。それでも、先の読めない地元経済や企業の倒産を目の当たりにし、政治や世界情勢が日常経済に及ぼす影響の大きいことを実感する。
金融だけでなく幅広い分野で社会貢献したいという思いから、学生時代の恩師や学んだ国会議員の助言もあり、銀行を退職、奈良県庁へ入庁。なお、同時に大学院への合格を得るも、学費の目途がつかず入学を断念する。
奈良県庁では、災害対策関係の部署に配属される。防災行政広報の普及に力を注ぎつつ、奈良市月ヶ瀬地域の大量の土砂の違法掘削事件や、生駒市市内の住宅地違法盛土事件、五條市や十津川村における土砂災害防止対策事業などを担当し、県内全域を奔走する。
前職民間企業での経験と比較して、ずさんで無駄の多い業務実態も目の当たりにする。独自に徹底的に具体的な調査を重ねたところ、県庁には公務員たちの「事なかれ主義」「住民は二の次という感覚」「都合の悪いことは隠蔽・改ざんする体質」がはびこっていること、誠実な公務員が正しく評価されていないことを実感する。
平成29年7月9日奈良市議会議員選挙に最年少28歳で立候補し、5,082票をいただき2位で当選する。
当選後は休む暇もなく政務調査を開始し、奈良の政界に新しい風を吹かせるべく日々邁進する。 また、市政だけでなく、県政や国政についても積極的に携わり、各分野の政治家と連携して地域の諸課題の解決に取り組む。
令和3年7月11日奈良市長選挙に最年少32歳で立候補しする。選挙戦終盤に近付くに連れて支持が増えるも、無所属で2万票近くを得票するも政党対決の構図が強まり破れる。
選挙後も政務調査を継続し、政党を問わず奈良県内外の政治家から政策助言等を求められるようになり、諸課題の解決に取り組む。